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節目となった兵庫県南部地震から11年目となりました。
四国の教会の解体からも10年経ちました。
失われたヴォーリズさんの建築たちの様々な「保存のありかた」について記すること、
これをもって自分の中でも一区切りをつけておきたいと思いました。

96年の初めでしょうか。
山形政昭さんとのお約束である写真集はどういう内容になるだろうとレジュメをつくりました。
それは5巻から構成されていて、1巻目は失われたヴォーリズさんの建築と「その後」をテーマにした
「いまはもういない」でした。
5巻のうちで、いま公開する意義があるのは1巻目の内容だろうと考えました。
10年前のレジュメをそのまま使うつもりで準備を始めました。
今となっては、これらの写真を自分から突き放して見ることができます。
ある程度の深さまで変遷を追った物件でないと当時の視線を再現するのは困難に思えました。
またフィルムを選んでいく過程で記憶の底からよみがえった撮影時の想いを表現するには
選び抜いた少数の物件についてさえ幾枚も尽くさないと「伝わらない」であろう、とも。
実質5物件について100枚近いフィルムで「語る」ことにしました。
1物件を除けば有名な建物は含まれません。
それぞれの「消えていく様」と「その後にのこった様」は、典型だと思っています。
このうちで最後に「お話」したい物件の「のこりかた」は今でも業務を進める上で心の片隅に置いてある、ことを特にお伝えしたいです。

これからは、収録した5つの物件ごとに「ことのあとさき」を記すことにします。
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20060728

緊急報告会以降の95年は夏に四国まで解体の立ち会いに行っただけ(後述)で終わりました。
明けて96年の1月5日
兵庫県南部地震から1年目の状況を確認するため神戸へ向かいました。
被害が少なそうに見えた物件が複数消えていて驚きました。
また倒壊した物件は地上部分が撤去されて地下部分がぽっかり口を開けていました。
被害が大きいと思っていた物件が海外の技術者さんと大工さんの手で改修作業を進められていました。
以降、97年の2月にかけて5回ほど神戸に通いました。
その後、山形政昭さんにヴォーリズさんの建築を現地確認する作業を終えたいことをお伝えして活動を終えました。
それからは、仕事で出張に出た際に早起きして以前見た物件の現状を確認したり、
仕事先へ向かう途中で不意にヴォーリズさんの建築の前を通ったり、
陸路をバイクで北海道まで往復する行きがかりに立ち寄ったりと
意外にご縁があったり忘れ去っていたりしていました。

20060728

いろいろと事情がありまして
昨夜より事務所が椅子で埋まっております。
お察し下さい。 >保管場所を縮小したのでとりあえず集積中ですの
在庫状況>事務室分

椅子はとにかく沢山ありますが座ってのお打ち合わせ等々は困難です。
事務所に入りきらなかった椅子もあり置き場に悩んでおります。
この状況は来月いっぱいくらい、、、で許して欲しいなあ。

>ほぼ解消しましたけど、再び床が見えるまでに2ヶ月かかりました。。

20060725

しばらくして山形政昭さんに報告の手紙と写真を送りました。
後日お電話を頂いて被災した近代建築への対応について、など色々とお話をお聞きました。
事後の様々な作業で精神的にもお疲れの様子でした。

95年の4月に建築学会の緊急報告会「阪神大震災による文化財建造物の被災状況」が三田の建築会館で開催されました。
平日でしたが東京へ向かいました。
資料として「阪神大震災歴史的建造物被災調査報告書」が配布されて、これには山形政昭さんが大阪教会など歴史的建造物の保存に関する作業をすでに始められている状況も報告されています。
藤森照信さんの司会のもとに、まず建築種別ごとの調査結果と所見が報告されました。
民家では文化財指定対象クラスは比較的よく残っているが、明治期などに建てられた「贅を尽くした建築」は被害が大きい、鉄骨補強をされた物件は被災程度が軽い、などの傾向があったそうです。
その後のディスカッションでは
・「なにげない風景」の保存について考えられた事がなかったのではないか
・「西洋館」は洋小屋(トラス構造の屋根裏軸組)と梁の大きさ、下見板張りなどによって在来工法の民家に比べて強度が大きかったらしい
・昭和初期の高レベルな和風建築で物件リストなどには含まれないもの(御屋敷=高級個人住宅)は、このまま何の記録が残らないまま消えていく可能性が高い
・文化財としての「指定」「未指定」で保存対応の落差が大きい
・文化財の保存をする上での構造補強は耐震性をさほど考慮していない
・文化庁には被災建築物についての緊急調査費はない
などの問題点が上げられました。
関西の研究者の方からは学会(東京)の「他人」としての態度など対応の不備があったと指摘がありました。
また出席された文化庁の方から、補修が急がれる物件について国内での学術的な重要性が証明されれば被災後でも文化財指定が可能であるという見解も出されました。

兵庫県南部地震はこのような経緯を経て、その後、歴史的建築物の保存について大きな転機となりました。
ヴォーリズさんの建築も有名物件の多くが被災し、屋根が倒壊した神戸女学院校舎の写真、被災した大阪教会のその後などが新聞に掲載されたこともあり、やはり対応が変わってきたように思います。


20060725

ナショナルシティバンク神戸支店がすっくと建っている姿を確認してから、須磨浦公園近くへと道を探しながら歩きました。
その住宅も現存を確認して三宮まで歩いて帰りました。
三宮に辿り着いたときはすでに夕方でした。
その夜は大阪梅田で泊まりました。
夜、食事のために街へ出ると全く変わらないままでした。
見渡す限り倒壊した建築物と火災の跡、道をふさぐビル、多数の消防と警察の車両、陸上自衛隊の隊員と給水車とヘリコプター、表情を失い疲れた顔
一日見続けた光景との落差は大きかったです。
翌日は電車で行けるところまで行き、そこから徒歩で確認してまわりました。
跡形もなく倒壊してしまった住宅、残った2階を解体しようとしている住宅、すでに外壁補修を始めている学校、危険で校地内にさえ入れない学校、瓦がずれた程度の煉瓦建築、物件のリストを一通り確認し終えると夕方でした。


95年1月29日の早朝、大阪駅に着きました。
土曜日でした。
向かい側のホームにはスキー板を抱えた色とりどりの服が並んでいました。
予想外でとても驚きました。
動いていたのは阪神電車だけだったと思います。
電車は真っ暗な中をゆっくり走るので窓から周囲の様子はわかりません。
今日の終点という駅で降りたら、山側の大通りに三宮までのバスが待っているので歩いて下さいと駅員さんに言われました。
大通りまではかなりの距離がありました。
歩きはじめると道が狭くて足下にゴミが多いこと周りの建物が妙に背が低いことに気がつきました。
そのうち、夜が明け始めて周りがうっすら見えるようになると
道路が倒壊した両脇の建築物で狭くなっていること、ゴミではなくて建築物の瓦礫であること、そして背が低いのは倒壊した1階の上にそのまま覆い被さっている2階であることがわかりました。
報道で見知ってはいたものの直面すると唖然というか呆然とするしかありませんでした。
みなさん同じようで、誘導する駅員さんとバス会社の方の声だけが聞こえていました。
バスが走り始めてしばらくすると陽が昇り、オレンジ色の光の中に横倒しになった高速道路の橋脚を撤去している現場が真横にありました。
見知った三宮の駅前に降り立つと、街は静まり返っていました。


95年1月17日の明け方。
早朝出勤のため目を覚ましたワタシは地震の揺れを感じました。
NHKラジオでは大阪局から大きな地震について情報を流し続けていました。
夕方になり家に帰ってテレビを見ると神戸が燃えていました。
その瞬間「君は見に来てくれないのか」と声がきこえました。
それはヴォーリスさんのような気がしました。
情報が増えるほど近代建築の現存状況を確認するために遠方から被災地に入るなど論外だとわかりました。
翌日、山形政昭さんに電話が繋がり情報を伺うと、被害があったようだが現場はとても確認するような状況ではない、との事でした。
(この後、数年にわたり山形政昭さんは神戸から大阪にかけての被災近代建築の保存について多忙な日々を送られます)
10日間ほど悩み続けました。
ヴォーリズさんの建築を写真で記録している者として、現場に行かないということは全てを放棄することになります。
自分は行って記録しなければならないのだ、と結論を出したのは翌週の末でした。
倒壊した物件が撤去されずに残っているのは2週間以内だと推察しました。
だとすれば、もう日にちがありません。
神戸周辺は交通網が分断されているが、大阪からなら神戸に入れそうだと思ってカメラを抱えて夜行列車の自由席に乗りました。

94年11月に近江八幡市文化会館でシンポジウム「ヴォーリズを語る『兄弟をつくり都市をつくる』」が開催されました。
ヴォーリズさんの略歴をたどる内容でした。
これだけ人が集まるということはヴォーリズさんは地元では確固な評価を得ているのだな、という驚きがありました。
 
翌年95年の10月に第2回が開催されました。
テーマは「建築に心をこめて」とされていました。
兵庫県南部地震によりヴォーリスさんの建築にも被害がでていました。
当時の米国神戸総領事さんが領事館にしていたヴォーリズさん設計の住宅について震災の前後を含めたエピソードを語られました。
その後は、建築家の故 内井昭蔵さん、東洋英和女学院の解体問題に関わられた阿川佐和子さん、都市景観を専門とされる西村幸夫さん、近江兄弟社の岩原代表取締役の4人による
ヴォーリズさんの建築に関わる方々によるディスカッションでした。
数時間続いたやりとりの行き着いたところは保存問題でした。
・建築は思想の具現化されたものであるから撤去された場合に何を失うかを考えなくてはならない
・地域のために機能を考えて建築は建てられるが、その空間がさらに別の機能を持つようになる
・記憶の詰まった建築は、なくなったらおしまい
・かといってすべては残せない。何を残すのかを考えなければならない。
・建築の保存は事実上、個人の努力による保存しかない。社会的な建築の保存システムが不在である
といった内容でした。
「記憶の詰まった建築」「何を残すのか」この2つは強く心に残りました。
この時配布された資料の表題に
 「ヴォーリズ建築」
という言葉が使われていて、えっ?と思いました。
それまで、そんな言葉は聞いたことがなかったので。

1年開いて97年の2月に第3回「精神は永遠に」が開催されました。
近江商人としてのヴォーリズというテーマだったと思います。

特に第2回のシンポジウムは、その後、ヴォーリズさんの建築が「ヴォーリズ建築」として保存され広く一般の方々に知られていくことに大きな意味を持ったと思います。

「ヴォーリズの建築」巻末の物件リストには、東京での仕事が意外なほど多いのに気がつかれると思います。
関西に比べてヴォーリズさんの知名度が低いにしても、都内に現存する近代建築の設計者名としてほとんど名前が出てこないのはとても不思議でした。

93年の10月と94年の4月の初めと終わりの3回にわたって都内の物件について調査をしました。
これも物件リストのカード作成から始めました。
 東京は関東大震災、東京大空襲、そして東京オリンピックと3度、大きく姿を変えています。
東京大空襲については「戦災消失区域表示付東京都35区 区分地図帖」で被害の状況が把握できます。
全国実地調査の経験から戦災消失区域には現存物件はない、と判断する事としました。
 またヴォーリズさんの物件リストには所在地「東京」としか書かれていません。
そこで、おそらく建築家に設計を依頼するような建物には当時めずらしかった電話があったであろう、という予測をしました。
東京中央図書館には、東京に関する資料を集めた「東京室」があります。
ここで電話帳と空襲前、震災前の地図を使って下調べをしました。
昭和初期までの電話帳には加入者の職業も記載されているのも有り難いです。
 まずローマ字表記の物件名から推察される電話所有者を探し、その住所を地図で追い戦災を免れたか確認します。
数日、図書館に通いある程度絞られたら現場へ向かいます。
ひたすらその繰り返しでした。
ほぼ全物件を調べ、Friend Misson Res.とNitobe Memorial HallそしてS.ikeda Res.を現存確認できました。
東京都下には、これらを含めた現存確認12物件のほか、予想される確認漏れ物件を含めてもわずかしか残っていないだろうと結論づけました。

バブルは終わりましたがこの調査をしている間にも
六本木の東洋英和女学院校舎は不本意な解体をされました。
また京都の丸太町教会は初夏の暑さのなかで解体前の実測調査が行われました。

「帝都復興せり!」で松葉一清さんが猶予の時間はあまりないと書かれてから5年経っています。
全国に広がるヴォーリズさんの未確認物件は果たしてどうなっているのでしょうか?
気がつくのが遅すぎたかも知れないと思いながら夏が過ぎました。

94年の9月から1ヶ月間、未確認物件について現状を確認をするためバイクで全国を巡りました。
まず、お預かりしたヴォーリス全物件リストもとに物件カードを作成してました。
近代建築の基本台帳である「日本近代建築総覧」(日本建築学会編 1989)を地方ごとに分冊して製本し直したもの、
そしてヴォーリス全物件リストのコピーと共に物件カードのファイルをカメラのトランクに入れて250CCのオートバイにくくりつけました。
北から南へ下ろうと舞鶴から小樽へのフェリーへ乗船するところから旅は始まりました。
途中2日ほど車両整備で止まったほかは毎日走り続け、行程は7000kmを越えました。
新たな現存確認の収穫は、雪に埋まっていないピアソン邸、岩手県久慈のアレン短大、燕教会、YWCA野尻コテージ群、屋更教会、福岡社屋町教会、三瓶教会、大島青松園教会、など教会を中心としたキリスト教関連施設でした。
住宅物件は予想通りに追跡が困難でした。
千数百の建築計画(構想で終わったものも含まれます)がありながら予想以上に残っていない事に驚きました。
戦災による消失も目立ちました。
また残っている物件は、どんな姿であれ所有者と利用者に愛され大切に維持されているのも印象的でした。

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そうてんせいうん

Author:そうてんせいうん
I...I didn't do it for you ok?!

ご連絡はweb mailでどうぞ: http://form1.fc2.com/form/?id=434253

[準備中]
・「SUOMI CHAIRS」

<プロジェクトのリスト>
「イルマリ・タピオヴァーラ椅子展」 @Style shop. 2005.05.21-06.12
日本国内では見る機会のない作品を含めて全部で25点ほどを展示。

「ヨーロ・クッカプーロと柳原敏彦」 @GREEN WOODS 2005.11.12-13
クッカプーロさんの主要作品20点と柳原敏彦さんの木家具による構成。違う素材なのにデザインの根本で調和しているという妙。

「スオミと足塚由江」 @昭和堂 2006.06.23-25
フィンランドの家具と足塚由江さんのうつわでカフェをしました。

「米来留 いまはもういない」 @夏コミケット 2006.08.12発行
建築家ヴォーリズの失われてしまった作品を追い続けたドキュメント写真集。

「一脚の椅子 フィンユール」 @GREEN WOODS 2006.08.19-20
そこにあるだけで周りの空間を変える力を持つ椅子とは。

「カモナマイオフィス」 @某建て売り住宅 2006.09.16-18
「第二事業部の事務所が新築の住宅に移転する」 としたら?引っ越し系インスタレーション。

「1000脚の椅子」
工場の倉庫に眠る約1000脚の未完成の椅子を教材として活用しようという企画。
派生企画:智頭農林高校 学習成果展示 / 島根女子短大 Re:Chair展
 
「北欧の椅子と家具展」 @SOUKA-草花- 2006.12.08-11
古いビルのレストアされたペントハウスに北欧家具でLDを構築するインスタレーション。

「リートフェルトをつくって」 @SOUKA-草花- 2007.06.22-25
Rietveldさんの家具をダンボールで実寸模型に再現するワークショップ。

「机の帰還 」 @glass Onion 2007.07.19~
廃棄される学校机を店舗什器に再生する試み。

「シュレーディンガーの椅子 」 @Store Room 2007.09.07~
学校のようなお店に学校の椅子を納める。

「いまはもういない、のこと」 @夏コミケット 2007.08.19発行
ヴォーリズ建築の取材過程を記録したテキスト。

「キャンの岬はどっちですか。」@souka 07.11.17-18
「祈りの椅子」のプロトタイプに座ってみる。

「そしていまはもういない予告編」 @冬コミケット 2007.12.29

「そして、いまはもういない。」 @夏コミケット 2008.08.17
ヴォーリズ建築で失われて痕跡の儚いもの達。

「一脚の椅子 イルマリ・タピオヴァーラ」@「淀江の家」グラムデザイン 2008.10.04-05
ピルッカスツールを展示。

「いまはもういない、祈り」@冬コミケット 2008.12.30
キリスト教関係のヴォーリズ建築で知られざるもの達。

「古い家を借りて自分で直したら大きな黒板のある家ができた。ワタシの(^^)」@黒板亭 2008.03.--2009.04
廃屋寸前の賃貸住宅を順調に時を経たかのようにレストア。

「蒼天青雲 in 関西」@そうさく畑63 2009.04.05
既刊を関西地区で初配布。 山Dさんもお誘いして。

「ヴォーリズさんを探しに行った日々について」 2009.=
蒼天青雲にとっての「建築の保存」について話す。

「旧豊郷小学校写真集」@夏コミケット 2009.08.16
豊郷小学校=桜ヶ丘高校という繋がりと広がり。

ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク第3回全国大会@近江八幡 2009.10.11
ヴォーリズファンしか居ない場によばれてヴォーリズさんの写真集を配布。

「みどりのはら」「近代残像 函館」「近代残像 長崎」@冬コミケット 2009.12.30
阿佐ヶ谷住宅へのオマージュ。函館と長崎、北と南の洋館が並ぶ港街。

「近代残像 京都」@コミティア92 2010.05.04
前世紀末の京都の町中における近代建築を紹介。

「米子市公会堂」 2010.07.15 +コミケット78
山陰に置かれた村野藤吾さんのグランドピアノについて。

「近代残像 神戸」@コミケット78 2010.08.15
神戸にある近代建築の様々な残り方と消え方。

「近代残像 湘南・箱根」@コミケット79 2010.12.31
太平洋に面して残る関東地方を取り巻いていた別荘地帯の痕跡。

「さくらはさく」@コミティア96 2011.05.05
千葉県浦安市の埋め立て地に咲く桜の花。

「マーリをつくって」@米子高等工業専門学校 2011.07.21
ダンボールで実物x0.8スケールの家具模型をつくる実習授業。

「近代残像 横浜」@コミケット80 2011.08.14
横浜で暮らした日々における近代建築との交わり。

「きらめけ!公会堂」@米子市公会堂 2011.10.21-23
写真集「米子市公会堂」を元にwebと連動したインスタレーションを実施。

「SUOMI CHAIR DESIGN 01. Alvar Aalto」 @コミティア98 2011.10.30
フィンランドの椅子デザインについて。

[以降、続いています


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