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四国の左端にある人口1万人ほどの山に囲まれた港町にある教会です。
そのとても静かで穏やかな町の外れ学校などが立ち並ぶ辺りにヴォーリズさんが設計した会堂は1939年に建てられたようです。

敷地写真で左手に見える連窓の平屋は併設の幼稚園です。
この町の10人にひとりはこの幼稚園から巣立っていったそうです。
94年の9月29日は九州に台風が接近しました。
大分から八幡浜へのフェリーも欠航。真夜中、運行再開の便で海峡をわたり、八幡浜へ辿り着いたのはまだ朝には早い時間でした。待合いで一眠り。
山越えをした先にある教会へ着いたのは朝8時過ぎだったと思います。
曇り空の下で外観を追って行くと真裏に思える位置に正面玄関があり礎石もみつけました。
間違いないと判断して隣接の牧師館らしき民家に声をかけて見学の意向を伝えました。
内部はとても綺麗に使われ掃除も行き届き、高温多湿で度々台風にもさらされる四国の木造建築としては状態が良いと思いました。
しかし、正面の道向かいにある小川の度重なる氾濫で床下への浸水があり、土台・床束などの床下部材の劣化が激しいという理由で立て替えが決まっていました。
事前の情報で一粒社福岡事務所さんが改築の設計をされているとは聞いていましたので、やはりそうなのかと思いました。
解体までには、まだ時間がありそうなので解体と新規の会堂まで撮影しようと決めました。
12月に入るとクリスマス礼拝のご案内を頂き、24日昼間の子供礼拝を撮影するために列車で向かいました。
この日は高曇りで時々日が射しました。
礼拝堂と木建具で仕切られた附属室の間を子供らが行き交い、この会堂で行われる最後のクリスマスは賑やかに何事もなく終わりました。
50年間、この会堂はこうして子供達とクリスマスを過ごして来たのでしょう。
そして95年の年明け、関西の地震でこの教会よりも古い物件が幾つも消えました。
その夏、8月6日の早朝、広島で原爆慰霊碑に祈りを捧げ、呉から松山へのフェリーで四国に入りました。
この教会堂の最後の一日でした。
お昼前に着くと既に家具などは搬出され終えて、それは綺麗に丁寧に掃除がされつつありました。
何もなくなった礼拝堂に幼稚園の体操マットをひいて教会員さん幼稚園の保母さん牧師さん夫妻などが丸くなって昼餉をとりました。
ワタシも加わり淡々と黙々と食べた記憶があります。
その後、聖壇を背にして記念写真を撮り一通り掃除をし終えると、まだ夕方には早い時間に解散となりました。
明日の朝には解体されるという実感はありませんでした。
翌日8月7日の午前8時、解体作業の開始予定時刻に会堂へ行くと既に重機が正面玄関右手、台所辺りの庇を通称ハサミで切り取っていました。
玄関の折れ戸が戸枠ごと上に引き抜かれ、建物がほぼ二つに別れるほどに作業が進んだところで10時の休憩。
入り口庇を支えていた石組みは柱を失い、昨日の昼に丸座を囲んだ礼拝堂は落とされた天井材で埋まっていました。
ここまでの作業で軸組材が予想外にしっかりしていることがわかりました。
その後、軒先の十字架が外された頃にお昼休みとなり、午後からは祭壇のとは反対側の附属室部分の解体にかかりました。
今回の解体には通称45と呼ばれるそれなりに大きい解体重機が使われています。
この重機が附属部分の棟をハサミで掴んで引き倒そうとするのですが、何度揺さぶりをかけてもビクともしません。
解体重機のオペレーターさんは首をひねりながら何度か掴み位置を変えたり轢く方向を変えたりしてとことん揺さぶった後で、この部分はやっと礼拝堂側へ倒れ込みました。
ここで3時のお茶。
オペレーターさんに声をかけると、ちょっと信じられないくらいの強度がある建物だと声がかえってきました。
この様子を見ていた牧師さんと教会員さん達は、もしかするとまだまだ寿命があったのではないか、と口にし始めます。
たしかに築50年の在来工法住宅などとは比べものにならない構造体を持っているとワタシも感じました。
小屋組はキングポストトラス(いわゆる洋小屋)で使われている部材断面が予想外に大きいのです。
休憩のあと、祭壇側の解体が始まりました。
こちらは簡単に土台と壁体がが離れましたが、木造軸組構造としては異様に高い壁強度があることを思わせる倒れ方でした。
どうやら祭壇の下辺りは予想通りに床下の劣化が進んでいたようです。
牧師さん教会員さん達もやはり仕方がなかったのかと納得されていました。
その後、部材の分断作業が進み17時には会堂は産業廃棄物の山に変わりました。
痛々しくて見ていられないと仰っていた幼稚園の園長さんもお帰りになり、ワタシも宿へ戻りました。
どれだけ愛されて丁寧に使われて多くの人にとって記憶の一端にある建物であっても消えるのは一瞬、その記憶を思い返すことが出来なくなるのも一瞬だと実感しました。
1年が経った96年の8月11日に新生した教会堂を見に行きました。
とても清々しい建物でした。
設計のときに牧師さんが元の会堂のイメージを残す意匠的な試みを考えられているのはお聞きしていました。
たしかに別の建物なのですが、これは知っている気がしました。
入り口庇の左右を支えているのは元の会堂の入り口に似せた石組みのベースです。
この正面玄関は以前とは真反対にありますが、ここは元の附属室の位置です。
バリアフリーの広い玄関を入るとすぐに附属室の機能を持った部屋になります。
そこから左手の大きな開口部を持つ建具枠を介して礼拝堂に繋がっています。
附属室の奥は畳敷きの小部屋になっていて、大きな正方形のガラス扉で礼拝堂と繋がっています。
ところで、元の会堂では廊下と礼拝堂を仕切る扉に真ん中だけ素通しのガラスがはめられていて向こうの様子が見えました。また礼拝堂の右手に組み込まれた物入れと廊下をはさんだ台所との間には30cmほどの正方形の引き戸が取り付けられていました。
それらの記憶を受け継ぐのがこの正方形のガラス扉でした。
旧会堂の長椅子はそのまま使われていました。
この会堂で新しく記憶の襞に刻まれるのは何だろうと見てまわると、入り口の扉に気がつきました。
スリット状の色ガラスがはめられたそれは、有田出身で福岡を中心に活動されているガラス作家の後藤ゆみこさんの作品でした。
さりげなく、でも心を尽くして作られているのを感じました。
背の低い人たちの目線にもふれるそれは、きっとこれから場所の記憶をつくり続けるのだろうなと思いました。


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[準備中]
・「SUOMI CHAIRS」

<プロジェクトのリスト>
「イルマリ・タピオヴァーラ椅子展」 @Style shop. 2005.05.21-06.12
日本国内では見る機会のない作品を含めて全部で25点ほどを展示。

「ヨーロ・クッカプーロと柳原敏彦」 @GREEN WOODS 2005.11.12-13
クッカプーロさんの主要作品20点と柳原敏彦さんの木家具による構成。違う素材なのにデザインの根本で調和しているという妙。

「スオミと足塚由江」 @昭和堂 2006.06.23-25
フィンランドの家具と足塚由江さんのうつわでカフェをしました。

「米来留 いまはもういない」 @夏コミケット 2006.08.12発行
建築家ヴォーリズの失われてしまった作品を追い続けたドキュメント写真集。

「一脚の椅子 フィンユール」 @GREEN WOODS 2006.08.19-20
そこにあるだけで周りの空間を変える力を持つ椅子とは。

「カモナマイオフィス」 @某建て売り住宅 2006.09.16-18
「第二事業部の事務所が新築の住宅に移転する」 としたら?引っ越し系インスタレーション。

「1000脚の椅子」
工場の倉庫に眠る約1000脚の未完成の椅子を教材として活用しようという企画。
派生企画:智頭農林高校 学習成果展示 / 島根女子短大 Re:Chair展
 
「北欧の椅子と家具展」 @SOUKA-草花- 2006.12.08-11
古いビルのレストアされたペントハウスに北欧家具でLDを構築するインスタレーション。

「リートフェルトをつくって」 @SOUKA-草花- 2007.06.22-25
Rietveldさんの家具をダンボールで実寸模型に再現するワークショップ。

「机の帰還 」 @glass Onion 2007.07.19~
廃棄される学校机を店舗什器に再生する試み。

「シュレーディンガーの椅子 」 @Store Room 2007.09.07~
学校のようなお店に学校の椅子を納める。

「いまはもういない、のこと」 @夏コミケット 2007.08.19発行
ヴォーリズ建築の取材過程を記録したテキスト。

「キャンの岬はどっちですか。」@souka 07.11.17-18
「祈りの椅子」のプロトタイプに座ってみる。

「そしていまはもういない予告編」 @冬コミケット 2007.12.29

「そして、いまはもういない。」 @夏コミケット 2008.08.17
ヴォーリズ建築で失われて痕跡の儚いもの達。

「一脚の椅子 イルマリ・タピオヴァーラ」@「淀江の家」グラムデザイン 2008.10.04-05
ピルッカスツールを展示。

「いまはもういない、祈り」@冬コミケット 2008.12.30
キリスト教関係のヴォーリズ建築で知られざるもの達。

「古い家を借りて自分で直したら大きな黒板のある家ができた。ワタシの(^^)」@黒板亭 2008.03.--2009.04
廃屋寸前の賃貸住宅を順調に時を経たかのようにレストア。

「蒼天青雲 in 関西」@そうさく畑63 2009.04.05
既刊を関西地区で初配布。 山Dさんもお誘いして。

「ヴォーリズさんを探しに行った日々について」 2009.=
蒼天青雲にとっての「建築の保存」について話す。

「旧豊郷小学校写真集」@夏コミケット 2009.08.16
豊郷小学校=桜ヶ丘高校という繋がりと広がり。

ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク第3回全国大会@近江八幡 2009.10.11
ヴォーリズファンしか居ない場によばれてヴォーリズさんの写真集を配布。

「みどりのはら」「近代残像 函館」「近代残像 長崎」@冬コミケット 2009.12.30
阿佐ヶ谷住宅へのオマージュ。函館と長崎、北と南の洋館が並ぶ港街。

「近代残像 京都」@コミティア92 2010.05.04
前世紀末の京都の町中における近代建築を紹介。

「米子市公会堂」 2010.07.15 +コミケット78
山陰に置かれた村野藤吾さんのグランドピアノについて。

「近代残像 神戸」@コミケット78 2010.08.15
神戸にある近代建築の様々な残り方と消え方。

「近代残像 湘南・箱根」@コミケット79 2010.12.31
太平洋に面して残る関東地方を取り巻いていた別荘地帯の痕跡。

「さくらはさく」@コミティア96 2011.05.05
千葉県浦安市の埋め立て地に咲く桜の花。

「マーリをつくって」@米子高等工業専門学校 2011.07.21
ダンボールで実物x0.8スケールの家具模型をつくる実習授業。

「近代残像 横浜」@コミケット80 2011.08.14
横浜で暮らした日々における近代建築との交わり。

「きらめけ!公会堂」@米子市公会堂 2011.10.21-23
写真集「米子市公会堂」を元にwebと連動したインスタレーションを実施。

「SUOMI CHAIR DESIGN 01. Alvar Aalto」 @コミティア98 2011.10.30
フィンランドの椅子デザインについて。

[以降、続いています


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