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雲井町は、とある私鉄の駅から坂道を上ったところにある小高い住宅街です。
その町の中にある小山の上に建っていたのが、とあるミッションの外国人宣教師のための住宅群でした。
周囲の道路から5メートルほどの斜面の上にあったので遠くから外壁だけ見えていました。
正面入り口の門からは建物は見えませんでした。
これら2棟ががヴォーリズさんの設計した3棟のどれに対応するのかは判りません。
ですが、下から見上げるそれは、少しなまくらなバランスのデザインからヴォーリズさんの古い物件であることを示していました。
次にそれらを見たのは地震のあと95年1月30日でした。
下から見上げると切り妻屋根で緑色の窓枠をもつ建物のほうは、窓に板が打ち付けられたり青い工事シートをかけられたりしていますが煉瓦積みの煙突もそのままであまり被害が大きいとは思えませんでした。
正面入り口への小道は倒壊した建物の材に塞がれていて、人が通れる隙間を探しながら進むと壁の向こうに傾いた住宅が見えました。
正面にまわると土台から斜めに引き抜かれるように倒壊した、写真でしか見たことのなかった住宅の被災した姿がありました。
朝の8時過ぎだったと思います。
撮影セットのように外壁が切り取られた白い部屋に乳白色のガラス照明が下がり窓辺にはカーテンが風に揺れていました。
小型の重機と2人の作業員さん、その向こうに家主の男性がいらっしゃいました。
当時はまだあまり普及していなかった携帯電話をお持ちで、電話網がずたずたなのに携帯は通じると仰っていたのをおぼえています。
許しを頂いてから切り妻の住宅と倒壊した住宅の撮影をわずかにして、片づけの手伝いを申し出ると
「ありがとう、でも今日作業の人が来てくれたから、いい」と言われました。
その後も雲井町に幾たびに様子を見ていましたが、気がつくと切り妻の住宅もなくなり、地下室らしきものを残して整地され、と面影が消えていきました。
そして日本を代表する建築家の設計事務所の工事看板が立ち、鉄筋コンクリート打ちはなしの住宅が建てられ始めました。
ヴォーリズさんの住宅は建てられた当時も最先端の建築物ではなかったと想像出来ますが、その質は高かったであろうとも思います。
その有名建築家の手慣れた手法の住宅がその後に建てられるというのは、建築の質において等しい立て替えが行われていると感じました。
優れた空間での生活が、別の時代の優れた空間を求めたとすれば、これも建築の記憶の保存でしょう。